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コモンの灯(あか)り

日暮れ時を表す言葉には色々ある。

夕暮れ、たそがれ、大禍時(おうまがどき)等々....
でも、なぜか、灯点(ひと)もし頃という言葉の響きに心引かれる。

満員の地下鉄を三ノ輪駅で降り、ワイズマートの角を曲がると、道連れは二・三人になり、急に、暗闇につつまれる。かんかん森通りに入ると、もう、ほとんど、人に会うこともない。桜並木の枝葉が頭上を覆い、一層心細さが身にしみる。

ぽつんと灯る焼鳥屋森の家族を過ぎれば、コミュニティーハウスはすぐそこだ。十二階建ての暗闇の中に、二階のコモンだけが皓々と明かりを点(とも)している。螺旋階段をゆっくりと登る。中で思い思いに談笑したり、飲み交わしたりしている様が目に浮かぶ。 突然若い女性のけたたましい笑い声がこだまする。

廊下を走り回る子供達の間をぬけて、明かりの中にはいると、親しい笑顔が迎えてくれる。笑いカワセミの声がしたよ、と、笑いかけたら、すかさず、悪代官にはそんなことを言われたくないわと、切り返された。苦笑と共に、自分もようやく、ここの住人になれた様な気がしてくる。コモンの灯りが消えている時などは、人恋しく、ひと時の安らぎを求めて、赤提灯に足が向いてしまう。

この一年足らずの間に、心ならずも通いつめる店も増えた。
鍵屋の大正ロマン、遠太の素朴さ、大八の子持ちヤリイカのとろける味、大蛸の喧噪の
中の湯気の匂い、にびきのチンチンに熱いヒレ酒、富士のつくね、玉勝のレンコンの滋味。 たまには梵で、しっとりと落着いた気分を味わうのも乙なものだ。

しかし、何と言っても、森の家族の気取らないさり気なさが、そこはかとなく居心地が良い。太目のイーさんの手造り水ギョウザに舌鼓を打ったり、取り留めもない会話を楽しんだり、安らぎのひと時だ。近頃は、昔の事が矢鱈となつかしくなる。これも年のせいかもしれない。友人、同僚、先輩達と酒場で交わした談笑、安らぎ、を懐かしむ気持ちがわき上がってくる。

こんな、ちょっとセンチメンタルな気分の時には、なぜか唐突に、ヒューマンという言葉が心に浮かぶ。人間らしい心の持ち様、人間らしい生活、人が人らしく生きる事とは、どの様な事なのだろうか、などと、今更ながら考えたりする。これも、ここの生活に親しみ、それなりに癒されているからだろうか。

自分も、ここの生活に相応(ふさわ)しいヒューマンな人間に、ならなければいけない、などと、自戒の思いにかられる。ふと見上げる窓には、いつもの明かりがなく、暗く静まり返っている。今日は、コモンミールは休みの様だ。では、しばし、森の家族の一員になろう。

さびしさに、
ふと立ち止まり、見上げれば、
窓の灯りの、ほのあたたかき。
ゆたか

(豊 勝治)
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